2025年6月 藤田 光洋
今年、初めてスタディーツアーに参加した。
支援先の視察や現地スタッフとの交流、地雷被害や除去の実情に触れる中で数多くの学びがあった。
なかでも深く印象に残ったのは、トゥール・スレン虐殺博物館(TS)とキリング・フィールド(KF)への訪問だった。
これらの施設は、1975-79年のポル・ポト政権下で数多くの人々が命を奪われた過去を今に伝えている。内戦の過程で敷設された地雷は、その終結後も人々の生活に深刻な影響を及ぼしており、現在も地雷被害が残る地域の1つがシソポンである。
かんぼれんがシソポンで支援活動を続けている背景には、こうした歴史的経緯もあり、今回のツアーを通じて支援の原点ともいえるカンボジアの過去に触れることができた。
以下、2つの施設で感じた歴史の一端を紹介する。
トゥール・スレン虐殺博物館

プノンペン市内にあるTSは、高校だった建物が収容所として転用されており、内戦時に多くの市民に尋問・拷問が行われた場所である。
施設内にはいくつか見学できる建物があり、尋問が行われていた部屋や拷問道具、収容者の顔写真などが展示されていた。
その中で印象的だったものとして、最初の建物では拷問に使われたベッドや、実際に括り付けられている収容者の写真が展示されており、その生々しさに言葉を失った。
また、別の建物には極めて狭い独房がびっしり並んでおり(上写真)、実際に中に入ってみることができるが、そこに閉じ込められていた人々の苦しみや絶望が伝わってきた。
短時間の見学だったが、この場所が持つ歴史の重みは深く心に刻まれた。
キリング・フィールド

TS見学後に訪れたKFは、内戦中に全国で約300カ所存在した処刑場の総称である。TSなどで尋問を受けた囚人が送られた最終地であり、今回訪ねたKFはそのうちの1つである。
敷地内には、遺骨やそれらが埋められていた場所などが展示されていた。特に目を引くのは、敷地中央に静かに佇んでいるガラス張りの慰霊塔で、中には犠牲者の頭蓋骨がびっしりと納められていた(上写真)。
私たちはボネット先生とともに、犠牲者と加害者の両方へ祈りを捧げた。
処刑する側も命令に逆らえば処刑対象となる状況であり、加害者であると同時に被害者でもあったと思うと、それぞれの立場にあった苦しみや恐怖を想像し、ただ静かに祈るしかなかった。

さらに、キリング・ツリーと呼ばれる大木では(上写真)、幼い命が残酷に奪われていたという。
この場所で起きた非人道的な事実を前に、同じことを繰り返してはならないという思いを強くした。
これらの施設見学の後にシソポンでの支援先を訪ねて、地雷で障がいを負った方や、元ポル・ポト派の兵士だった方にお会いすると、これらの施設で知ったことは遠い昔の歴史などではなく、実際にごく最近に起こった出来事であったことを改めて実感させられた。
同時に、かんぼれんによる子どもの教育支援や車椅子の提供が、現地の生活に確かに役立っている様子に触れ、支援が未来を創る力となっていることに希望を感じた。
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この記事は2024年支援報告より抜粋しています。
これまでの支援報告や報告会動画もぜひご覧ください!
かんぼれんを支えてくださる皆様のおかげ22年間シソポンの人たち、子どもたちへの支援ができ、心より感謝申し上げます。
今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。