勝間田 万喜
長年、参加したかったスタディツアーに、やっと行けた。
暑さや急な土砂降り、土ぼこりのでこぼこ道、初めてのカンボジア料理、ポル・ポト政権時代の歴史、カンボジアの方々との出会い。
五感で体験した事は、深く沁み込み、半年経た今も度々思いを馳せている。
国境の紛争の報道からは、出会ったご家族を思い出しながら地雷被害や貧困に加えて職を無くし、どうしているのだろうか?と心配している。
「Light of Mercy Home」のこと

子どもの家「Light of Mercy Home」はプノンペンにある視覚・聴覚・知的・身体などに障がいのある子どもたち18名が生活している施設だ。
平日は学校に通ったり職業訓練や実習先に通い、休日には家庭に一時帰宅する子もいるが、ほとんどは施設にいて家族のように暮らしている。
アクセサリー制作の仕事をしている青年、あんまの職業訓練に励んでいる視覚・知的の重複障がいのある青年、毒蛇にかまれて右足を切断したが映像プロダクションに就職希望の青年、幼稚園の先生をしながら大学に通っている女子の様子等がVTRで紹介された。
その後、カンボジアの伝統楽器の演奏とダンスを披露してくれた。
昼食は子どもたちと食卓を囲んだ。
17歳、18歳の聴覚障がいの女子たちと同席となり、クメール語も日本語も通じ合えない私たちには「手話」が共通語となった。
手話は国により異なるが、英語+手話で話しかけると、手話で答えてくれた。
表現が共通の手話もありお互いにうれしくなった。
殻付きエビの食べ方に戸惑う私の様子に気が付くと、さりげなく食べ方を示してくれ、殻の処理の仕方まで教えてくれた。
それがおしつけがましくなく、表情もふるまいも穏やかで心地よく、「困っている相手を心を込めて助ける」ということの見本を示してもらったように感じた。
食後の片づけも手際よく、責任者のシスターや支援者が障がい特性や発達状況に合わせて身辺自立の力を根気よく教え伝えた結果身に付いた力だと思った。
また、年齢も障がいの種類も家庭背景も異なる仲間が、互いの事を受け入れ合いながら、助け合い、役割を分担しながら生活している様子に平和を感じた。
シスターの話によると、ポル・ポト政権時代に撒かれた毒物を吸収した女性たちが母になり子や孫の代まで先天性の障がいを持つ子どもが生まれているという…。
蟻や毒、蛇にかまれての障がいは、私には衝撃で、適切な医療を受けられずに障がいを負う事になったのではないかと想像するといたたまれない。
子どもたちとの出会いで思うこと
子どもの家、JSCシソポンの訪問先、村の小学校、学生寮と各所で子どもたちに出会った。
どの子も礼儀正しく、挨拶をし相手への敬意を表すことが身についている。
学生たちはJSC シソポン責任者ビチェカさんの質問にはにかみながらも答え、かんぼれんの支援への感謝と夢を話してくれた。
貧しい村の子どもたちも、お菓子を年下の子と分け合ったり、家の周りで元気に遊んでいる。
父母の出稼ぎや離婚、死別などで祖父母や親戚に育てられている子も多い。
村の食堂の子どもは見知らぬ私に水がめから貴重な水を汲んでくれ、手を洗わせてくれた。
小学校に通えている子どもたちも栄養失調で髪の毛が茶色いと知り、ショックも受けた。汚れた顔を洗う事も知らない2歳児やザビエルスクールの幼稚園では、歯磨きや手洗いなどの衛生教育も見た。
私の住む都心の子どもたちは物質的には満ち足りているが、幼児期から複数の習い事や長時間保育と過密な生活で家族との時間が少ない子も多い。
カンボジアでは貧困ゆえであろうが生活は簡素で、隣近所との付き合いもあり、相互に助けあって子を育て暮らしていた。
学生たちは明確な将来への希望をもって学べることへの感謝があった。
子どもとして人として大事な在り方を身につけているのは、果たしてどちらの地域の人々であろうか?
またJSCシソポンの3人のスタッフが広範囲の地域を調査し、献身的に「困り感」に寄り添い支援する姿に、アウトリーチの見本を見、励まされ、支援の実際を見て知ることの大事さを実感した。
かんぼれん2025年12月ニュースレター44号より
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この記事は2024年支援報告より抜粋しています。
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