変わりゆくカンボジアとともに

酒井 陽介

13年ぶりのカンボジアであったので、感慨深い時間を過ごさせていただいた。

 スタディツアーは、「カンボジアの友と連帯する」ことを旨として、援助する側と援助を受ける側が、お金やプロジェクトだけではなく、顔と顔を付き合わせ、人間仲間として繋がっていくために、プノンペンとタイ国境に面するバンテアイ・メアンチェイ州に行き、JSCが支援する人々と出会う旅である。

同時に、雄大かつ複雑なカンボジアの歴史とクメール文化に触れる旅でもある。

途上、今でも犠牲者の絶えない地雷被害について地雷除去にあたっている国際NGO、HALO Trustで学ぶ時間も持つことができた。

HALO Trustにて

プノンペンでJSCが運営している、目と耳などの不自由な子どもたちの施設Light of Mercy Homeでは、イエスの福音の原点に触れることができた。

目や耳などの不自由な子どもたちの施設 Light of Mercy Home

障がいを抱えながら、互いに助け合い、笑顔の絶えない子どもたちがいて、そこで働くフランス人ボランティアは、彼らから命をもらっていると話していた。

シソポン周辺の村をいくつも巡り、貧しい家庭や小学校を訪問した。
かんぼれんは、JSCとともに学資援助から文具や自転車提供など多岐にわたる支援をしている。

またJSCが行っている重要な活動に、車椅子製作と提供がある。
車椅子は、身体の不自由な子どもたちや地雷で足を失った人々の身体の一部、生活の一部となっている。

食べるに事欠き、地雷の埋まっている国境近くの森へ食べ物を調達に行き、そこで地雷を踏んでしまう人が、今でも続出している。
そこには、想像のつかない貧しさや緊迫感があった。

また、訪れたいくつもの家庭では、親や年長のきょうだいがタイに出稼ぎに行って、不在の状況があった。

クメール・ルージュと呼ばれるポル・ポト政権による不遇というにはあまりに悲劇的な国策により、国を引っ張るリーダーや知識人そして文化人らが殺され、ごっそりといなくなってしまった。

それは、教育に甚大な影響をもたらし、今もってカンボジアは、国づくりの最中なのだ。

でもそれだけに、希望もたくさんある。
ともかく、元気な子どもや若者が多い。

そして彼らを励まし、彼らとともに歩もうとする志を持つ大人たちも少なからずいるのだ。
JSCのスタッフたちは、まさにそういう大人たちだ。

いつの日か、近隣の外国資本や観光、はたまたNGOに頼らずに、自立できる日が来て欲しいと願う。
そのための教育であり、文化・芸術の振興なのだろう。

 加えて、シソポンにある開校10年目を迎えたザビエルスクールについて書きたい。
カンボジアのイエズス会が学校を作ろうとした時に、首都プノンペンに作る許可を総長に願いでたところ、当時のニコラス総長より、貧しい人たちへの教育を主軸に再考を促された。

そこで最終的に、タイ国境で貧しい地域のシソポンに学校を建設することになった。

今は、広大な敷地と行き届いた教育的配慮の素晴らしい学校に成長したが、その分、地元の富裕層の子弟が来るようになり、今まさに原点に立ち返り、貧しい子どもたちの教育に再び力を入れる時を迎えたと、校長のオ・インドン神父は熱く語っていた。

イエズス会教育の可能性とそこに立ちはだかるカンボジア特有の課題をまざまざと見た気がした。

 私はまたいつの日か、大学生たちと一緒にカンボジアを訪れたいと考えている。
カンボジアという国の美しさとたくましさに触れ、本当の人間の豊かさを彼らから学び、分かち合いたいと思う。

かんぼれんの善意と夢は、確かにカンボジアの人々に分かち合われ、変わりゆくカンボジアの大切な一助になっているのだ。

かんぼれん2025年12月ニュースレター44号より

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この記事は2024年支援報告より抜粋しています。

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