新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、昨年に続き今年のスタディーツアーも断念せざるをえませんでした。しかし、支援先のイエズス会サービスカンボジア(以下JSC)シソポン事務所からは、「コロナ感染で活動が制限される中でも、支援を求めている人々への活動を予定通り実行した」と詳しいレポートが送られてきました。昨年かんぼれんから送った支援金が、支援一覧の通り有効に活用されています。
1.「支援なお必要」
聖書を読みますと、キリストの弟子たちが繰り返して強調することは、「わたしたちは直接に見たことを、聞いたことをあなたたちに伝えています」、と。
毎年カンボジア・スタディツアーに参加した人々は、9月に行う報告会、年に2回発行する会報と、ホームページを通して、直接に見たり聞いたりしたカンボジアのこと、かんぼれんの援助によってできたプロジェクト、非常に貧しい状態に置かれている人々の状況などを伝えようとしています。
ところが、2020年の2月に、新型コロナウィルスの感染はどんどん広がるようになりました。私たちはギリギリセーフでカンボジアから帰ってきましたが、9月の報告会を中止にせざるを得なくなり、直接に見たこと、聞いたことを伝えることができず、少なくとも会報とホームページを通して伝わるように努めました。
そして、ウィルスの感染状況はなかなか良くならず、とうとう2021年にも2022年にもスタディーツアーはできなくなりました。イエズス会サービスカンボジア(JSC)のスタッフに会えず、できたプロジェクトを直接見ることも、人々の話を聞くこともできませんでした。
しかし、ウィルスにも負けず、JSCのスタッフは援助活動を続けました。それだけでなく、タイに出稼ぎに行っていた多くの人たちが仕事を失い戻ってきても、その家族が食べるのに困ってしまって、新しく緊急支援の必要なケースが増えるようになりました。
かんぼれんとしては、コロナでカンボジアに行けないことが悔しいけれども、皆さんの支えによって、最も貧しい人たちの支援を続けています。私たちは、常にJSCのスタッフと連絡を取り、彼らからプロジェクトごとの予算が送られてきます。そして、かんぼれんの金銭的な状況によって支援できるプロジェクトを選んで、そのための必要な金額を送金します。
この2年間、かんぼれんの援助によってできたプロジェクトを直接見ることはできませんでしたが、例年と同じように、すべてのプロジェクトについての報告書といくつかの援助を受けた人や家族の状況についての、さらに詳細な報告が送られてきました。来年こそ、またカンボジアに行けることを期待しながら、<援助疲れ>という心のウィルスに打ち勝って、皆さんと共にカンボジアの最も貧しい人々支援を続けたいと思っています。
かんぼれん代表 ボネット ビセンテ
2022年6月ニュースレター 巻頭言より
2.かんぼれんの基本的理念
2001年に、イエズス会社会司牧センター主催で、第1回のカンボジアスタディーツアーが行われました。そして2003年の第3回スタディーツアーの時、皆さんがご存じのように、初めてイエズス会サービスカンボジア(JSC)シソポンの事務所を訪問しました。
彼らの毎年の活動計画、その実行についての詳細なレポートなどを見て、ツアーの参加者全員が一致して、その活動を支援しようと決意しました。そして、その決意を具体化するために、私たちの支援の基本的理念(めざすもの)を決めました。 「人間を中心とした」支援JSCシソポン事務所は、カンボジアの北西地区、タイとの国境近くにあり、最も貧しい地域の一つであるBanteay Mean Chey県にあります。
その事務所のスタッフは、できる限り村長と住民から、情報や協力を得て、小さな村々の最も貧しい人々や家族を調査します。それは、人間が住める最低のものにもなっていない小屋に住んでいる家族、何らかの援助(家族のためのお米、通学用品、通学用の自転車、少額の奨学金など)がないと学校に行かれない子どもたち、車椅子を買えない貧しい障がい者などです。
かんぼれんは、その最も貧しい人々を中心にするため、スタッフの皆さんの活動を通して、金銭的な援助をするだけではなく、毎年、スタディーツアーの時、直接に、彼ら何人かに会っています。私たちの支援は、「人間を中心とした」ものになるために、もう一つのことを大事にしようとしています。
それは、JSCスタッフとの信頼関係です。彼らが計画したプロジェクトについて、疑問のあるもの、私たちには大切と思われないものについてなど率直に話し合っています。たとえば、ある時にラジオ教育プログラムに関して疑問を持った私たちに、その結果のデータをもって意義を説明してくれました。また、それほど貧しくない方に騙されて車椅子を与えたという一件があったときに、それを隠さずに認めて、その車椅子を返してもらいました。
JSCシソポンが活動するバンテアイミエンチェイ州周辺には、支援がなければ自立のできない人、家族はまだたくさんいます。これからも皆さんと共に彼らを支援していきたいと、強く望んでいます。よろしくお願いいたします。
かんぼれん代表 ボネット ビセンテ
2022年12月ニュースレター 巻頭言より
3. 開発支援
「普通の暮らし」を支え続けること
コロナ騒動の前まで毎年行われていたスタディツアー参加者からは、毎回、首都プノンペンや観光都市シェムリアップをはじめとした都市部の目覚ましい発展が報告されてきました。そんな中でも、かんぼれんが活動を始めて約20年、初期の頃から長く続いている支援メニューが「開発」分野です。
開発といっても、高層ビルを建設するような華々しいものではありません。ごく質素な、当たり前ともいえる日々の暮らしに必要なものも揃わず困っている家族が今なお数多く存在しています。
かんぼれんでは2021年も、そうした貧しい家族のための開発援助を行いました。
障がい者、貧しい家族のための家
オークさん(35歳) ボッサム村 4×5m
住む家を持てず、妻子を連れて、いろいろなところに仕事を求めて動いていました。
農作業の手伝いなど、仕事があれば何でもやりましたが、子育てや教育を賄うのは困難でした。かんぼれんの支援で、住む家が提供され、牛銀行の牛を貸与されて、1年後には生まれた子牛を得ることもできました。
カンボジアでは、牛は農耕や物資運搬に不可欠な家畜で、売ればまとまったお金にもなり、安定した収入をもたらすものとして重宝されています。オークさんは定住して安定した生活を送れるようになりました。
モンさん(70歳) ボッサム村 4×5m
ご主人を亡くされたモンさんは、娘家族と暮らし、家で孫たちの世話をしています。モンさん一家は、家の近くに小さな田んぼを持つだけで、娘たちは日雇いの仕事をしています。
経済的に苦しく、古い家を修理することができないため、かんぼれんで修理をしました。
牛銀行 3家族
サモンさん 家族 妻、子ども5人の7人家族
サモンさんは奥さんと2ヘクタールの農地で米を作っていますが、5人の子どもを育てるのに十分な生活費にはなりませんでした。村の結婚式で民族音楽を演奏して臨時収入も得られますが、それでも足りません。そんなサモンさんが利用したのも、かんぼれんの牛銀行です。
貸与された牛を大事に育て、種付けの支援も得て、現在子牛を妊娠しており、その誕生を希望をもって待ち望んでいます。
障がい者、貧しい家族のための少額ローン 6家族
6家族にそれぞれ$250支援をしました。
屋台のような商店を営む女性は新たな商品を仕入れ、農家の女性はニワトリや豚を飼育しています。
デイロ村に住むフィンさんは、たくさんの野菜を育てています。
農業講習会 2回
マレイ地区のTakuong commune、やTuolprasat村、Tuolpongro communeの農家に、JSCでは、農林水産庁から講師を派遣してもらい、2回農作業の講習会を行いました。
【講習内容】
牛の飼育:育て方、飼料(わらやキャッサバを利用)
病気対応、ワクチン、繁殖について
教育支援
コロナ禍においても、かんぼれんからの支援はできることを継続しています。事例にあがっている子どもたちは、Malay地区など、JSCが集中して貧困をなくすように支援している地区の子どもたちです。
学用品(文房具、教材など)
9歳のマレアさんは、マレイ地区のPrasat Rang小学校の2年生です。
両親は、タイに出稼ぎに行き、高齢の祖父母と生活をしています。おじいさんが、重い病気になり働くことができず、日常生活がとても困難になっていました。
JSCスタッフがマレアさんの祖父母に会い、どんな支援ができるか検討しました。その結果、50kgのお米と食べ物、マレアさんと兄に通学用の支援パックを提供しました。
二人は、きれいな制服と新しい学用品を整えて、村の他の子どもたちと同じように通学することができるようになりました。
兄妹が学業に励むことができ、教育を受けることは、将来の生活を改善することに繋がる大切な支援のひとつです。
奨学金支援
2021年は30人に奨学金の支援をしました。
15歳のThouernさんは、6人兄弟姉妹の5番目です。
お父さんは、元クメールルージュの兵隊で、地雷を踏んで両足を失い不自由な生活を余儀なくされています。お母さんが、農場で働いていますが、生活は困難な状況です。
Thouernさんは真面目でクラスでも特に優秀で、クラスメートの勉強を助けるなど親切で礼儀正しい子です。そんな彼女のために、中学校の校長先生からJSCに対して、彼女と彼女の家族への支援の依頼がありました。
JSCスタッフはThouernさんの家を訪れて事情を確認して、毎月奨学金17.5ドル、家族に15kgのお米を援助することにしました。この支援により、彼女は勉強にいっそう力を入れることができるようになりました。
お米による奨学金 20人
家庭の状況によってお米による奨学金をします。
Sophyさん(17歳) 高校生
両親は建設現場に勤め、経済的に厳しい家庭ですが、彼女は勉強が大好きで、将来の夢は先生になることです。
Sreynannさん(15歳) 中学生
父親がタイへ出稼ぎに行き、野菜を育てる母と暮らしています。勉強が大好きで、両親も彼女の学びを応援しています。
Hattkさん(16歳) 中学生
両親が亡くなり、祖父母と弟と暮らしています。以前はあまり真面目な生徒ではありませんでしたが、今は一生懸命学んでいます。
Sokhimさん(13歳) 中学生
両親がタイへ出稼ぎに行っているため、祖母と暮らしています。将来の夢は先生になることです。
通学用自転車 15人
2021年は自宅から学校まで3km~10kmある小学生から高校生の子どもたち15人に通学用の自転車を提供しました($50/1台)。
13歳のReaksaさんは、クラスでも優秀な生徒です。
家から学校までは4kmありますが、自転車を持っていないReaksaさんは、友だちの自転車に乗せてもらって通学していました。そのため友だちが学校に行かないときは、彼女も通学ができない状況でした。
両親は、1ヘクタールの農地を持っていますが、この畑からの収穫だけでの生活費では足りず、季節性のあるトウモロコシなどの収穫の出稼ぎもしています。それでも、収穫作業の収入は不確実で生活費の助けにはなりますが、Reaksaさんの自転車を買う余裕はありませんでした。
勤勉で真面目な生徒である彼女のために、中学校の校長先生からJSCに対して、彼女への自転車の支援の依頼があり、JSCは、2021年10月に彼女に自転車を提供しました。Reaksaさんは、その自転車で毎日通学することができ、成績も向上しています。彼女も両親も大変感謝しています。
自転車1台の支援が、ひとりの子どもの毎日の通学を可能にし、よりよい教育を受けることで、その家族にとっても未来への力になっています。このように困難を抱えた子どもたちに対して、それぞれに何が必要なのか、それを検討して支援をしていくことは、ひとつひとつ労力のいることです。
カンボジアの現地で情報をキャッチして、そこに足を運び、本人や家族に会って何が必要か検討しているJSCスタッフの皆さんの努力に対して、かんぼれんとしても真摯に向き合い、コロナ禍など大変な状況においても継続した支援を今後もしていきたいと願っています。
5.車椅子支援
車椅子の提供
車椅子と三輪の車椅子を新たに16人に提供しました(車椅子13人、三輪車椅子3人)。
車椅子の点検・修理
当初から支援活動の柱の1つだった車椅子支援は、20年を経た今でも続けられています。
JSCスタッフは、新たに車椅子を必要とする人だけでなく、以前支援をした人々をも年に数回訪問し、それぞれの様子を聞き、必要に応じて車椅子の修理や、新たな車椅子に交換するなど、きめ細やかなフォローアップをしています。昨年は16台の車椅子に加えて、78台の車椅子修理費用が支援対象になりました。
Sokhaさん(31 歳)
障がい:転落事故による脊髄損傷で歩行不可
家族:母、祖母、妹(母と祖父母は視覚障がい)
Sokhaさんは、妹と一緒に隣国タイに働きに出て、毎月、視覚障がいのある母親と祖母の世話を近所の人にしてもらうために仕送りをしていました。
ところが、2012年にタイでの作業中に7階から転落。腰の脊髄を損傷し、歩行が出来なくなってしまいました。そのため、NGOのICRCから車椅子の提供を受け、車椅子の利用を始めました。
2018年に、JSCシソポン事務所スタッフのリウさんが村長を訪ね、村で車椅子を使っている人を確認したところ、Sokhaさんの名前があがりました。リウさんがSokhaさんにお会いし、すぐに月1回の車椅子点検・修理の支援を開始。そのフォローアップが現在も続いています。
2021年10月には、Sokhaさんの車椅子が古くなり、修理対応ができなくなったため、新しい車椅子を提供しました。
このように、JSCでは車椅子を提供後、定期的にご本人の下を訪ね、車椅子の点検・修理や他の問題がないか、ご本人やご家族に寄り添った支援が続けられています。
6.健康支援
お米の緊急支援 50kg×15家族
新型コロナウィルス感染症の拡大により、当初予定していたプロジェクトの一つが出来なくなったため、そのお金で、生活困窮者への米の緊急支援をしました。
漁師のシングルファーザー。
妻を亡くし、4人の子育てと病気の母親やと姉の面倒を見ている。
7.Light of Mercy Home 子どもの家
毎年のようにスタディーツアーで訪れて交流している障がいのある子どもの家 Light of Mercy Homeのレポートがカンボジアから届きました。
ここは障がいがあり、何らかの理由で自宅を離れた子どもたちが暮らす施設で、イエズス会サービスカンボジアによって運営されています。多少の出入りはありますが、2021年現在、男子14人、女子15人、合計29人が在籍しています。視覚障がい、聴覚障がいが半数以上、その他の障がいがある子どもたちもいます。スタッフは4人です。
子どもたちは、それぞれの障がいに応じて異なる学校に通っています。盲学校、聾学校の他、美術学校や、上級生になると会計の専門学校に通うケースもあります。それぞれの子どもに合わせた教育を受けられるように細かく配慮されています。
学校は月曜日から土曜日までですが、学校以外のアクティビティーも盛んです。週に一度、民族楽器を使った音楽の授業、ダンス、それから手話のクラスも子どもの家で実施されます。英語やコンピューターの教育も受けられます。
生活の面でも、子どもたちのスキルを磨く工夫がされています。料理をして食べること、敷地内の菜園の世話、大工仕事、部屋の掃除などに、協力して取り組みます。上級生には、裁縫やアクアポニクスの管理を担当してもらい、それも日々の生活に役立てられます。
アクアポニクスとは、水耕栽培と魚の養殖を組み合わせた循環型の農業の一形態で、敷地内で数年前から取り組んでいます。葉っぱを栽培する水耕栽培の水面には小さな魚が泳ぎ、その糞は植物の肥料となります。魚は成長すると食用になります。こうして葉っぱも魚も子どもの家のおかずになるというわけです。
かんぼれんのツアーでは、毎年子どもの家を訪問してきたので、長くここにいる子たちとは顔なじみになり、彼らの成長を喜んできました。その反面、大きくなってもここにいる彼らにまた会うことには、彼らの将来を思うと複雑な思いもありました。
そのうちの2人が子どもの家を卒業していったことが、今回のレポートには記されています。
ボレイさん(26歳)は、18年間暮らしていましたが、レストランに良い仕事が見つかり退所しました。ソチェアットさん(23歳)は12年間住み慣れたこどもの家を出て、プノンペンのアジア・ユーロ大学の学生として新しい一歩を踏み出しました。全盲ながら、英語や音楽に堪能である2人の前途を心から応援したいです。
この2年間訪問できなかった間に、カンボジアでも新型コロナウィルスの感染が広まり、子どもの家にもその影響が及びました。2021年2月に政府の指示によりプノンペンの全ての学校が閉鎖されました。
3月には、21人の子どもたちが一旦家に帰り、子どもの家に残った8人は、オンラインで授業を受けることになりました。11月にようやく学校が再開し、子どもの家にも子どもたちが戻ってきました。
この間2人の子どもがコロナに感染しましたが、幸い回復しました。
これからも、子どもたちが困難を乗り越えて幸せに暮らせるよう、かんぼれんは微力でも支援を続けたいと思います。