2023年の支援報告

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2024年2月スタディツアー イエズス会サービスカンボジア(JSC)シソポン事務所スタッフ3名と
【2021年支援一覧】

2023年かんぼれん支援総額 $20,000
このうち、牛銀行と少額ローンのための予算$2,250は、カンボジア政府の方針により開発事業が途中で中止となったため、2024年の活動支援費へ繰越しされました。

  1. 開発支援 $2,160
    • 障がい者、貧しい人たちのための家 新築1軒+修理1軒
    • 牛銀行 2家族
    • 障がい者、貧しい家族への少額ローン 6家族
    • 農業講習会 2回
  2. 教育支援 $8,470
    • 通学用自転車 15人
    • 学用品(文房具、教材など) 15人
    • 障がい者、貧しい家の児童・生徒への奨学金 30人
    • 障がい者、貧しい家の児童・生徒へのお米による奨学金 20人
  3. 車椅子支援 $5,198
    • 車椅子 13人、三輪車椅子 3人
    • 車椅子の修理 78台
  4. 健康支援 $810
    • ボッサム村でお米の緊急支援 50㎏×15家族
    • 地雷被害者への支援品 1人 
  5. Light of Mercy Home 子どもの家 $1,000

2023年のイエズス会サービス(JSC)シソポン事務所には2つの大きな変化がありました。

1.プロジェクトの減少

昨年の報告で触れた通り、カンボジア政府の方針でNGOは一切の収益事業が禁止となりました(NGOの支援は完全に無償でなければならない)。

JSCでは、これまで行っていた低利息で新しいことを始めるための資金を提供する農家への少額ローンや、雌牛を提供して将来、子牛を戻してもらう牛銀行を提供することができなくなりました
そのため、JSCの活動は2023年より教育支援と車椅子提供に集中することになりました。

2.シソポン事務所はスタッフ2人の退職により3人体制に

これまで主に開発支援・車椅子支援をしていたバートさんと、主に教育支援をし、シソポン事務所責任者をしていたハムソックさんが昨年夏に退職されました。

そのため、JSCシソポン事務所のスタッフは責任者のビチェカさん、教育支援担当のキムさん、車椅子担当のリューさんの3人になっていました。

少人数になりましたが、3人でチームワーク良く、バイクを駆使して広い担当地域を駆け回り、支援を必要としている村の人々のために精一杯の活動をしてきたことが、2024年2月のスタディーツアーでシソポンに滞在した3日間に亘る説明や、実際に現地を案内してもらうことでよく分りました。

JSCの財政事情は厳しさが増していますが、2004年からシソポンの活動を支えてきたかんぼれんとして、引き続き、積極的に支援していきたいと思っています。

2024年スタディツアー

*スタディツアー日記

「教育支援の実り~3人の大学生に会って~」

毎年のスタディーツアーでは、時間が足りなくて、前年にかんぼれんが支援した新しいプロジェクトのうち、いくつかのものしか見学できません。

ときに、数年前の“あのプロジェクト”はどうなっているだろうか、と思うこともありますが、それ(自己満足かな?)ばかりにとらわれると、新しいプロジェクト、そしてその人々に会うことができなくなります。

それでも、2~3回、同じ地域あるいは同じ村で他の新プロジェクトを見学した折に、数年前にかんぼれんの支援でできた2つの小学校の校舎と、そのグラウンドに植えた木の成長を見ることができ、とても嬉しかったです。

そのような喜びをさらに感じたのは今年のスタディーツアーでした。

なぜかというと、今回は、前にできた建物あるいは成長した木を見たのではなく、かんぼれんの支援で、中学生の時に奨学金を受けて、今は大学生になっている、成長した3人に会うことができたからです。

3人の女子大学生

2016年に、非常に貧しい、あるいは親が障がい者である家族の子どもたち、女子3人・男子2人は、住んでいた村の小学校を卒業して、シソポンにあるイエズス会のザビエル・スクール中学校の入試に合格しました。
そして、シソポンのイエズス会サービスカンボジア(JSC)が推薦していたこの5人は、6年後に同高校を卒業して、大学にも合格できました。

男子の2人は、プノンペンの大学、私たちが会うことができた3人の女子は、シソポンの州立大学にそれぞれ進学しました。

しかし、彼らがザビエル学校に入学した時には、女子寮はまだできていませんでした。

村がだいぶ離れていて通学できない彼女たちのため、入学試験を受けるための交通費だけではなく、受かってからも、女子寮ができるまでの2年間の生活費を、かんぼれんは、シソポンのJSCと協力して、支援をし続けました。

現在、3人は2年生で、別のNGOから支援を受けて小さな家を借りて、一緒に住んでいます。
2人はクメール文学、もう1人は農学を専攻しています。
このうちの1人は、家族の事情によって、平日に仕事、土日に大学という制度で勉強を続けています。

教育支援の実り

教育支援にかかわるすべてのプロジェクトの実りを確かめるのは容易なことではありません。
しかし、今回のように、本人たちの成長、その家族とコミュニティへの影響を垣間見ることができて、新たな刺激になりました。

かんぼれん代表 ボネット ビセンテ
2024年6月ニュースレター第41号 巻頭言より

戦後に長く、何年も残る地雷と不発弾

ポルポト時代と内乱が終わってからも、地雷と不発弾の爆発事故による被害者は多くいました。
タイ国境近くのBanteay Mean Chey州シソポン周辺にも、戦後に長く、地雷と不発弾が数多く残っていました。それを除去、あるいは爆破処理するために、HALO Trustという国際NGOとCMAC(カンボジア地雷アクションセンター)が活動していました。かんぼれんのスタディーツアーのときに、ほぼ毎年、HALO Trustの本部を訪れて、その活動についての報告を聞いています。

また、2010年のツアーの時には、CMACの活動場面を、直接に見ることができました。というのは、かんぼれんが始まった2003年に、減少したと言っても、地雷と不発弾による事故はまだ続いていました。

地雷原でのCMACの除去活動

しかし当時は、その事故によって障がい者になった貧しい人たちのためにイエズス会サービスカンボジア(JSC)シソポンでの車椅子支援は、他のグループからの寄付で補っていましたので、かんぼれんからは必要な時だけ行いました。

地雷と不発弾の除去活動が進み、それによる事故はほとんどなくなっていましたが、コロナウイルス感染症によって、多くの人々が仕事を失い、ますます貧しくなって、生活のため、木材などを求めて、さらに森の奥の方に入ることが増えたようです。そしてそこでまた、地雷と不発弾による事故が起こり、人々は障がいを背負わされるようになったのです。

私たちが出会った被害者

 特に大人の場合、事故によって障がい者になり、仕事も何もできなくなった人は、絶望に陥ってしまうことがあります。今年のツアーで、私たちは、そのような一人に会いました。両足を失って、車椅子でやっと家の奥から出てきた彼は、質問されてもほとんど答えません。働くために妻と子どもたちは、タイに行っていて、親の家にいる彼は、その親ともほとんど話をしないそうです。彼と彼のような人々が新たに希望をもつように、JSCスタッフの皆さんは、寄り添っていろいろと方法を考えながら活動を続けています。私にとって、その活動を支援するための新たな、刺激となる出会いでした。

かんぼれん代表 ボネット ビセンテ
2024年12月ニュースレター第42号 巻頭言より

開発支援

*12月更新予定

教育支援

*12月更新予定

車椅子支援

*12月更新予定

Light of Mercy Home 子どもの家

2011年からは、プノンペンにある障がいのある子どもの家へも支援(毎年$1,000)を始めました。視覚障がい、聴覚障がいをはじめ、何らかの障がいがあり、何らかの理由で自宅を離れた子どもたちが暮らす施設です。(⇒詳しくは2011年支援報告、2021年支援報告へ)

障がいの種類によって各学校に通学する、交通費や教育費に充てられています。
毎年スタディツアーで訪れると、子どもたちが日ごろ練習をしているダンスや音楽の演奏などで大歓迎してくれます。

4年振りのLight of Mercy Home

4年振りにプノンペンのLMHを訪ねた。子ども達が伝統楽器を演奏して、笑顔で私達を迎えてくれた。責任者がカンボジア人のシスター アン マリ(写真一番左)に交代していた。

Light of Mercy Home 子どもの家

そして、映像を学ぶ子どもが制作したビデオで、LMHの活動を紹介してくれた。
このように、子ども達が特性を活かし、将来、自立して生活できるように、通う学校を含め具体的な配慮をしているようだった。

子ども達は看護師、IT、盲学校教師、美容師、マッサージ師…を目指していると、元気に教えてくれた。また、週末には卒業生達が手話などを教えに来ていて、卒業してからも助け合いは続いている。
その後、円卓を囲み昼食をした。朝から子ども達が調理し、チキン、スパゲティ、サラダ等、心尽くしの料理はどれも美味しかった。

コロナ禍にはLMHの子ども達も感染し、シスターは政府の療養施設に連れて行った。
しかし、そこの劣悪状況を目にしたら、目や耳の不自由な子を置いてくることができず、自分で面倒みると決心して連れ帰り、必死に看病したそうだ。幸い皆回復した。
集団生活の中、奇跡だ!

また、後日に訪ねたシェムリアップのJSCで、十数年前にLMHにいた卒業生に会った
子どもの時、話すのが困難だったが訓練して話せるようになっていて、そこで働いていた

彼は私たちを覚えていて声を掛けてくれ、当時のLMHの様子を懐かしく思い出して話し、再会を喜び合ったJSCが国内で人材連携しているのにも感動し、今も繋がっていてとても嬉しかった。

2024年6月ニュースレター第41号より抜粋

本サイトでの2023年の支援報告は、6月、9月、12月のニュースレターおよび報告会の時期に更新を予定します。
次の更新は12月上旬のニュースレター発送後を予定しています。

今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。